雑感のコーナー・時々コラム

「気」について

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「気」その@00/12/19
気力と体力という比較からすると「気」が支配しているというのが私の考えである。健全なる肉体に健全なる魂が宿るのではなく、魂が優位に立っているという事だ。人の思考から発するエネルギーの大いなる力の存在を知らない、あるいは、意識していない人が多すぎる。それは超能力と言うのではなく、むしろ本能に近い能力が人に備わっているという事だ。第六感、精神力、魂、信念、願望、怨念など言葉として理解できても科学的に説明しにくい概念の源に、ある種のエネルギーが存在してると思っている。宇宙から降り注がれるニュートリノのような素粒子や太陽光などが関与しているのではないだろうか。宇宙空間から体内に取り込み、体内から他の生命体に作用するエネルギーを私は、「気」と捉えている。その「気」を取り込めるようになってから全ての価値観が一変した。

「気」そのA00/12/20
私の場合、呼吸法により「気」を取り込み、手の平から発散させ、こめかみから額にかけて「気」を感じ取る。生命体を見たとき、「気」を意識し呼吸し手をかざすと頭の中に映像や言葉が自然に浮かんで来る。「場」のエネルギーを感じるときも同様である。生命体にとって良し悪しが極端にはっきりしている場合は、何もしなくても感じる事がある。それ以外は、感じたいときに感じる事ができる。疲れることは全くない。言葉にするとすごい能力のようだが、「勘が良い。」という事とほとんど同じである。直感とか第六感とか、感性が発達しているのだ。生まれつき、勘が鋭い方で、母親もそういうタイプであったが、今のレベルと比較すると次元が違うと思う。

「気」そのB00/12/21
「場」のエネルギーは、土地、建物、水など非生命体の「気」であると考えている。場所に関わる「気」で、商売が上手くいく場所、何を作っても良い物が取れる農地、不運が続く家などの例は、何処にでもある。人が集まるところは、良い「気」が集まって明るい感じがする。その逆に場が悪いところでは、暗い感じがし、長くそこに居たくなくなる。肥えた農地の土1グラムに、10億の微生物がいるというが、悪い土には、数千ほどだと言われている。「場」のエネルギーは、生命の量に比例しているのだ。最も重要な事は、人の出す気、想念があらゆる事象に最も影響する。つまり「場」の悪いところでもその人の「気」でよくする事もでき、その逆もある。

「気」そのC00/12/22
電磁波も素粒子と同様に、「気」に大きく作用する。地下水などの流れによる電磁波の影響で、「場」が乱れる事もある。これらは、特有の周波数を持ちその増幅作用により生命体に影響を与えると考えられる。呼吸することで特有の周波数を出し、それが脳波に作用し、脳およびDNAを刺激し本能的直観力を増大させるのだ。元素レベルで個有の周波数があることで、原子、分子、細胞、組織のレベルまで電子によるスピンの違いが周波数の違いとなっているのだ。従って、電磁波が生命体に影響を与えるのは、明白である。「気が合う」と言うのは、人が同じ周波数を持っているために、引き合い増幅し影響し合う事である。志が高い人の周りには、同じような人が集まって来る。その逆もある。人の周波数が、最も生命体に影響するのだから、その人の意識を変えることで全てが変わる。因みに、本質が理解されないまま安易に波動と言う概念を受け入れる事は危険である。

「気」そのD00/12/23
「気」の本質は、宇宙からのエネルギーである。生命誕生の起源を考えると無機から有機、アミノ酸から単細胞に変化しながら、やがてDNAを持った生物が誕生したのであるが、今の科学をしても分子レベルから生命を作り出す事はできない。生命誕生の鍵は、宇宙からのエネルギーが関与していると考えられている。生命体は、ある意味でエネルギーの受容体であり、また、増幅させるトランスでもある。だから、人の発する「気」が他の生命体に影響を与えるのだ。宇宙からのエネルギーは、DNAに作用する事により進化が始まったとも言える。人と他の生物とも基本的には、同じ塩基配列であるから、何らかの形でそれぞれが作用し合うと考えられる。

「気」そのE00/12/24
瞑想している時、脳からα波、β波、θ波などが出てくるが、その質により脳波の種類に偏りが出てくる。精神状態により特定の周波数を発生させていると考えると、外部からの特定の周波数に脳波が共鳴し、脳に作用し精神状態に影響する事は当然である。音楽は、ある種の周波数の集合体である。色も周波数で表される。感動する心もまた固有の周波数が脳を刺激する。芸術で空腹は満たされないが、心は癒される。芸術家が、感受性が強いのは、感性その物が研ぎ澄まされているからである。生命体は、目に見えないごく小さな振動(周波数)により大きな影響を受けながら、進化して特定の塩基配列を増幅させてきたとも言える。常にあらゆる周波数に、共振共鳴させる事により生命を連続させているのだ。「意識」を変える事により少しずつ本質が見えてくる。

「気」そのF00/12/25
「意識」を変えることは可能であるが、その方法は多岐に渡っている。宗教的価値観は、究極的には同一であるが多くの宗教が存在しているのと同じである。その方法論の正統性だけを論じるから争いが絶えない。人の持つ能力も、本能的であると肯定され、霊的であると否定される。つまり、科学的に証明されているかどうかが判断材料にされてしまう。科学は、進歩し続け物質的に豊かになったが、精神世界は、どうだろうか。細分化された分野から、科学的な証明が試みられているが未知の世界である。「気」に関する科学的なアプローチは、説明し理解するために必要であるが全てではない。鉄棒の逆上がりを科学的に説明し理解しても出来るとは限らないが、ちょっとしたコツを掴むと出来るようになる。逆上がりをしようと思わなければ、出来る訳がない。

「気」そのG00/12/26
植物を観察する上で、最も重要な要素は感性である。私の場合は、ブドウと接している内に、この感性が磨かれた。顔色の悪い人、元気のない人を見かけた時は、「どうしたの?」と聞けば、大概、答えてくれるが、植物は、何も答えてくれない。栽培技術は、農学の知識と実践経験があれば、ある程度理解できる筈だが、それだけではない。植物と一体化し植物の気を感じる感性こそが、重要なのである。今までは、ブドウの事しか分らなかったが、どんな植物でもその状態を感じる事が出来るようになってからは、それまでの自分の浅はかな見方に愕然とした。ただ、モノとしか捉えていなかった自分の愚かさにようやく気が付いた。

「気」そのH00/12/27
こうして直感的な人間になってからは、永遠のテーマに対する謎が解け、答えが見えてきた。私の感性の導く真理が科学的に正しいかどうかは、この際、問題ではないが、すでに、科学的に証明された部分も多く、最先端の学問で解明されていく事だろう。
ちょっと、「意識」を変えただけで、人生は素晴らしいと心の底から思えるようになり、自分の与えられた使命を見出してから、その目標に向かって充実した日々が訪れた。偶然が重なり生命を授かったわけだが、「偶然の重なりは、必然である。」としか思えない。大いなる意志の掌の上に私がいる。

「気」そのI00/12/28
グレイシー柔術の強さの秘密は、ヨーガに代表される東洋的な思想に基づいている事に他ならない。欧米で認知されたREIKIもグレイシー柔術も日本人が創始者であることは、興味深い。東洋思想を日本人を通して、西洋の人々に伝えてゆくというのが、これからのキーワードになるのではないだろうか。工業製品などの輸出産業もこうした発想転換から新しい局面が開かれるだろう。農業界では、オーガニック(有機)からサステイナブル(持続可能)へ向かっている。人類史上、始めて、自分たちの手で地球を破壊する力を保持してしまった事と環境を維持する事が出来なくなった事に気が付いてから、潜在的な価値観も変わってきたようだ。

「気」そのJ00/12/29
農業を批判する時に、「農村社会は、保守的である。」とか言われるが、これは、農業の持つ本質的な部分であり当然である。新しい事を積極的に取り入れたり、革新的な技術を開発するより、従来の方法で確実に生産する方が、安定供給できる事をDNAレベルで記憶しているからだ。長い時間をかけて構築してきた方法論を短期間で転換する事が出来ないからである。非効率であるが、実は、合理的である。その特性も100年単位で見直す時期に来ていると考えている。こうした時代背景から、ようやく新しい取り組みが始まってきている。インターネットなどIT革命がもてはやされているが、情報手段の改革よりも、潜在的な価値観の変化による改革が少しずつ広がりを見せてくるだろう。

「気」そのK00/12/30
現代は、パラダイムシフトの真っ只中にいる。特に、日本では、そのため先行き不安で漠然とした焦燥感を持つようになっている。価値観が定まらず、夢や目標がぼんやりしている状態が続いている。何が正しく、何を変えるのかさえも明確にならない。物質的な豊かさが、飽和状態の地域と飢餓に苦しむ地域が同時に存在し、二極化が進んでいる。精神的には、案外その逆の事が成立している事もあるのだが。個人レベルの価値観も多様になり、世界が100年前の日本国内ほどの大きさまでになっている。情報を共有化する事で加速度的に地球は、小さくなってしまったので、視点もひとつ上の次元で捉えざるを得ないのだ。

「気」そのL00/12/31
新しい価値観とは、「ルネッサンス」にたとえるのが分りやすいし、「心の時代」と形容される事もあるだろう。「感性の時代」であり、「普通の時代」でもある。本能的に感じる当たり前の価値観を世界レベルで共有する時代でもある。あらゆる事象が再構築されながら、多くの発見と新たな解釈がなされるであろう。経済成長ばかりに目を向けていればいいという物ではないし、心の閉ざされた部分に安らぎを求め、個人の価値観を優先すればいいという物でもない。ましてや、組織を維持するための方策は、無意味である。

一人一人が生命体として、同じ価値観に目覚め、自ずから共生する世界観に基づき行動する事に他ならない。
それを真理とすれば、愛という概念に新たな息吹を与え続けるになるだろう。生命と生命の間に愛が存在するのではなく、存在その物が真理であるのだから。

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