雑感のコーナー・時々コラム

日本の農業の行方B

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日本の農業の行方49 01/03/02
これまで、多くの課題が浮かび上がって来たが、漠然とした不安や保守的な意見と感情論だけでは、この新しい局面を乗り切れないだろう。皮肉にも、農業は、これまで一番閉ざされてきた産業なので、様々な手本を目にする事ができる。銀行、小売、自動車、電気、通信、流通などあらゆる分野での取り組みの全てを参考にしながら、最後の改革が行なわれる。生命と国の在り方に繋がる最重要課題だからこそ、慎重に、ゆっくりと時間をかけてきたとも言えるし、それだけに、失敗は許されない。表面的には、悲観的材料が多く、見通しも決して明るくはないだろうが、こうした時代に生きられる我々は、次ぎの時代に大きな方向性を示す可能性を与えられた事に、誇りと信念を持たなくてはならない。

日本の農業の行方50 01/03/03
農業所得の申告方法が今年から変わる。収支を基に申告するようになったのだが、今までの不透明な申告になれている人たちにとっては、頭の痛い話である。税収も景気低迷に喘ぎ、幅広くより安定的に集めなければならない。20年ほど前、農家の所得は、医者と並び全くの不透明であった。丼勘定が当たり前で、いい加減な申告をしても、認められていた。日本経済が、高度成長していた時は、何ら問題にならなかったのに、財源不足になって、一段と厳しくというか、適正に判断されるようになってきた。別の見方をすると、いい加減な気持ちで、農業をやる時代ではないと示唆しているのかもしれない。自営業者にとって、確定申告は、気の重い話題であり、負担にもなるが、経営内容を把握するには、絶好の機会である。税金は、取られるものではなく、納めるものであり国民の基本的な義務でもある。納税者として、税金が、適正に使われているか監視するのは当然である。

日本の農業の行方51 01/03/04
自然農法とは、耕さず肥料も農薬も使わない農業である。有機栽培と似ているが、大きく違うのは、肥料をやらず、耕さないところである。有機栽培農家は、化学肥料の代わりに、堆厩肥を使い、化学農薬の代わりに、天然資材を使うのである。10アールあたり、1トンから5トンほどの堆厩肥を投入し、天然由来の資材は、毒性があっても使うのだから、私の取り組んでいる低コスト減減栽培(農薬70%減、肥料70%減)の方が、より環境に対する負荷は、かからないだろう。
農家は、自然農法的発想をもっと考えるべきだと思う。化学合成された物は、悪であり、天然の物は、善であるような風潮が見られれるが、相対量の削減と有機質の過剰投入は、今後、更に議論されるべきである。
このままでは、自然農法に今の地位を奪われるかもしれない。特に、自給的農家は、有機栽培でなく、自然農法を取り入れる方が良いとさえ、私は思う。

日本の農業の行方52 01/03/05
慣行栽培と有機栽培は、共に大量の肥料、農薬(天然資材を含む。)を消費する点では、同質であり、その違いは、化学合成されているか、天然資材かの違いしかないとも言えるだろう。
しかも、有機栽培の弱点は、何処にラインを引くかという点が、曖昧で説明されても矛盾が感じられる。また、非効率的で、コスト高になるという点が致命的である。両者は、一見、全く別の栽培方法のようであり、本質的な部分は異なるにしても、肥料を与え、薬を使って、作物を育てるという所は、同じである。
自然農法では、肥料も薬も使わず、生態系と自然の力だけで、栽培するのだから、究極の有機栽培というよりも、究極の減減栽培という方が、適切である。

日本の農業の行方53 01/03/07
新規就農者が有機農業を目指すことは、珍しくないが、自然農法でという人は、ほとんどいない。知られていないのか、そんな方法で農業が出来る訳がないと思い込んでいるのだろうか。新規に農業をやる人たちは、既存の農家と違う発想で取り組むべきであろう。有機農業は、食の循環という点で重要であるが、そもそも、国内のすべての食料廃棄物、畜産し尿などを肥料として土に返すと過剰投棄となり、環境に影響を与える可能性が高い。農業だけで循環させるのではなく、発電とか他のエネルギーとして有効利用した方が、良いのかもしれない。
化学肥料だけでなく、有機肥料も大量に使うと地下水汚染などに影響が出る事に変わりないのだから、相対量の削減を考える必要がある。

日本の農業の行方54 01/03/08
有機栽培の何処にラインを引くかということは、それぞれの栽培者、組織、販路などにより選択する事が出来る。石油製品は一切使わないとか、トラクターは、使うがポリなどは使わないとか、最近では、有機認証を取得するための栽培方法にするとか、国際基準に合致していれば良いとか、つまり、改正JAS法のために、有機の基準自体が、曖昧である事を証明してしまったとも考えられる。
石油自体は、地球から涌き出ている物で、天然に存在し、化学農薬や化学肥料も分子レベルでは、合成されているが、原子レベルでは、地球に存在している物である。毒性を問題にするならば、塩やカルシウム、酸素にも毒性はある。こう考えると、何処で線を引くかは、感情的な問題でもあるとも言えるだろう。
水田での上流の農薬汚染や慣行栽培との隔離とか、種子消毒とか、有機肥料の原料が有機栽培されているかなどを考えると事実上、有機栽培は、無理である事が露呈されてしまう。国内産の安心、安全というイメージの有機は、減農薬などにとって代わられる事になるだろうし、この事で、循環型の有機農業の持つ意味や問題点が浮き彫りにされ、農業の在り方を論議するようになるかもしれない。

日本の農業の行方55 01/03/09
国際基準のオーガニックは、一部根菜類やきのこ類を除いて無理だと判断したため、改正JAS法で有機を追い出し、持続型農業に全面的に移行しようとしていることは、すでに指摘の通りである。有機農業も自然農法の立場から見ると、慣行栽培と同じ問題点を抱えていると指摘されるだろう。大量の窒素成分等を投入し、病虫害に効果のある成分を大量散布する。栄養で育て、薬で治すという発想は、全く同じである。
低コストの減減栽培は、安定供給や生産性の効率において、自然農法の弱点をカバーする事が可能であり、循環と還元が出来る環境を作れば、栄養を与えず、薬を使わない栽培が可能である。慣行栽培、有機農業を西洋的であるとすると、自然農法、減減栽培は、東洋的であると言えるだろう。

日本の農業の行方56 01/03/11
自然農法は、まだ実験的な段階であるが、オーストリアでもこれに近い取り組みが話題になっている。切り倒した木を土中に埋め、豚を放牧し、ミミズを使う農法で、有機栽培より、自然農法に近い方法である。不可能とされた果樹も収穫でき、世界中から視察者がやってくるという。農業は、技術である。遺伝子組換えや、水耕栽培などの技術以外にこうした農法を模索する必要性を感じる。自然の力を利用し農薬も肥料もいらない農法は、最も環境に負荷を与えず低コスト生産が可能であり、日本のように雨の多い国でこそ、オーガニックに代わり普及すべき農法である。何かと問題を抱える中山間地などで集落単位で自然農法を取り入れるような思い切った方法が実現されると、日本の新しい農業の在り方として注目される事は間違いないだろう。

日本の農業の行方57 01/03/12
農業は、社会や政治経済それに国際情勢などと密接に結びついている。これまで、農業は、現場からの一方的で利己的な意見を押し付けようとしてきたと私は、思っている。こうした方法論では、すでに立ち行かない所に来ていると指摘してきた。もちろん農業固有の問題も議論されなければならないが、多くの問題点は、あらゆる産業構造にとっての共通の課題であり、それを解くキーワードは、再構築、地球環境、夢、共生、持続性、幸福感などであると私は思っている。どんな生き方をするかが問われているとも言えるだろう。その中で、特に今後、農業は、理想的な職業、生き方として期待されるだろう。農村社会は、コミュニティとしても、最も人間性溢れる環境を備えているし、更なる人的交流により、可能性も高まるだろう。しかし、変わることが出来なければ、このままずっと衰退し続け、崩壊し、再構築されるしか道は、残されていない。

日本の農業の行方58 01/03/13
失われた10年を経ても、株価は、バブル崩壊後の最安値を更新し、支持率6%ほどの首相が退陣もせず、政治的にも経済的にも相変わらずの混迷状態である。日本の農業のために農業をやっているのではなく、自分のため、家族を養うために農業をやっているのだと言う声も聞かれるが、それでは、農業を仕事にする必要性は何も感じられない。社会情勢を良く見ていただきたい。生活のため換金作物として、農業をするという意味は、農業でなくてもいいと言っているのと同じである。
これからは、農家自身が問われる時代なのに、理念も夢も大志も持たず、伝えずでは、最低限の生活さえ維持できなくなるだろう。社会全体で自分の事しか考えない人たちが多くなりすぎたような気がしてならない。
毎日農業の事を考えている人と、そうでない人とは、10年後いや5年後には、大きな差が出てきて当然であろう。時代は、変わった。自分で考え、責任を負い、自己完結する農業を模索しなければならない。

日本の農業の行方59 01/03/14
自己完結型農業とは、自己責任において、各自の理想とする方法で社会と関わると言えるだろう。かつての護送船団方式では、思考や理想や責任とは無縁にただ追従するだけで良かったのである。この方式がその時代には適していたし、機能もしていたとすでに指摘した。時代認識が出来ない人たちは、回顧主義的になるか、極度の悲観論で国民に脅しをかける。非難するつもりも啓蒙するつもりもない。どうせ淘汰されるに決まっているからである。時代の変化を感じ、模索している人たちには、光が差し込み、遣り甲斐のある時代を迎える。農地を維持する事、技術を見直す事、夢を持つ事、誇りを持つ事を忘れなければ、我々の時代が確かにやってくる。

日本の農業の行方60 01/03/15
危機感を持つ事は必要だが、悲観的になる事はない。情報分析し、現状を把握し、時代の流れを考えれば、方向性が見えてくるものだ。多数と同じ方向は、リスクが大きいし、先読みしすぎると時代に嫌われる。ちょっと先を考え、その先も視野に入れて置けばいいのである。短期的な身通しと長期的な見通しをどう調和させるかで成功か否かが決まる。冷静な判断と、ポリシーが重要である。戦略が優れていても心が伴わなければ共感されない。自己の利益と、立場ばかりを主張してもいけない。自分のしようとしている事が社会的にどんなインパクトを与えるのか、つまり、社会性を考えずに大衆の支持は得られないだろう。命をいただくという事は、生きる意味があるという証しであり、それが使命だと私は考えている。農業を通して誰に何を伝えるかと言う発想を持つ事も必要である。いたずらに、悲観的にならず、自分の生き方を考えれば、光が差し込み、自ずから道が開けてくるだろう。

日本の農業の行方61 01/03/16
「農業は、実践にあり。」20年以上前に大学進学せず、就農した理由は、この言葉が頭に浮かんだからである。
最初は、ブドウ栽培のいろはから学び。やがて、人並みに作業が理解できるようになると、もっといい方法がないかと、目新しい事に取り組んでみた。農学の知識も先入観もないので、とにかく自分で納得するまで考えて理論的に成り立つと思ったらすぐに実践し、そこから多くを学び、その結果、今の自分が在ると思っている。常に前向きに、もっといい方法があるはずだと観察し、どうしてそうなったのか何時も考えている。思い通りに行かないから、奥が深いし、結果が出れば楽しいと思う。独学だからこそ、不安もあった。だから、学ぼうとする。とにかく実践あるのみ、そこから全てが始まる。究極のブドウって出来ないかもしれないと心の何処かで思っていても、自分の管理ミスがなければ、もっと良くなるのでは、と思ってしまう。長期的にはベストを、短期的にベターを目指しながら改善しながら技術体系を作り上げたいと考えている。

日本の農業の行方62 01/03/17
努力の過程を説明する必要はない。経営の良し悪しは、成長率とキャッシュフローにある。結果が出なくとも努力した事を美談にすると言うのは、甘えの構造である。運のあるなしにかかわらず、結果を直視しなければ、その先はない。誰もがそれなりの努力をするのは当然であり、一方で結果に繋がらないとしたら、素直に方法論を見直す必要があるはずだ。これが自己完結型であり、実証的な捉え方でもある。問題を先送りし、責任を明確にしないと言うのでは、そこから、何も学ぶところはないだろう。農業のみならず、日本社会全体に蔓延している甘えの構造は、「和を持って尊し」という民族的な考えが、その根底にあるし、そういう固有の思想が国際的には、全く通用しないことを証明したとも言えるだろう。

日本の農業の行方63 01/03/20
狂牛病や口蹄疫の大発生が欧州の食生活や農業を変えつつあると言うニュースを聞く。ベジタリアンの増加や自然農法などへの関心が深まり、これまでの安全性を犠牲にし、生産を高め、コストを下げる農業から、持続性、環境に負荷のかからない農業に変わる大きなきっかけとなりそうだ。欧州が肉食中心になったのは、アルゼンチンからの大量の輸入が可能になってきてからだというから、意外にも歴史的には、それほど古い事ではないと言う。輸入に依存し、食生活も変わり、また、予期せぬ病気のため本来の食生活に戻るのかもしれない。
経済や政治がこんな状態だから、農業への関心も高まらないようで残念である。凶作、安全性、輸入禁止などの問題が起こってからでは遅過ぎるのに。

日本の農業の行方64 01/03/25
改正JAS法の影響については、これまでも触れてきたが、食品リサイクル法も農業に与える影響が大きいだろう。食品の製造販売の現場で、循環型に移行するといわゆるゴミが資源となり循環されるのだから、肥料として土に返す必要が出てくる。微生物を使ったり様々な取り組みの中で、農業サイドで使える肥料にしないければならない。農家が開発に関わらなければ、再資源化されたが、誰も買ってくれないという事になってしまう。
実は、私達の仲間では、すでに食品メーカーと何度か勉強会を開いていて、原料を提供し製品を試作したり、牧場を軸に堆肥化し、その堆肥を利用し作物を育て、それを原料に加工するという試みを始めている。農業以外の産業と提携しなければ、循環型社会は成り立たないし、その中核に農業があると考えれば、あらゆる可能性が広がるだろう。

日本の農業の行方65 01/03/28
日本の農業の行方とは、まさに日本の行方とも言えるだろう。この国がどんな国を目指し、そのために何処をどう変えて行くかに掛かってくるだろう。政治、経済、行政のみならず、社会を支える個人の在り方や関わり方も従来の考えに縛られない発想の基に、何かが変わりつつあると多くの人が感じ始めたのではないだろうか。農業は、確実に変わり始めている。私の意図する所は、まず、分析、予測し、その予測に沿った戦略を考え、実践しながら、修正してゆけば、必ず、この時代を乗り切れるという事である。
そのためには、自分の生き方を見つめ直すことが重要である。多様な価値観が混在する中で、高い志を持ち何を為そうとするかで、すべてが決まるような気がする。

日本の農業の行方66 01/03/29
のどかな田園風景もそれを支える人達の高齢化で、徐々に農業が衰退し、農村が荒廃しつつあるのが現状である。後10年で、良くて半減、悪くて7割減という感じで、これは、10年前の予測とほぼ一致する状況である。このままいけば、団塊の世代以後は、限りなく零に近づくだろう。私は就農してから、22年も経つが今でも若い人と言われ続けているのだから信じられない。都市に住んでいると農村風景に何も変わりがないように見えるかもしれないが、畑で見かける人影も確実に少なくなり、荒廃した農地ばかりが目に付くようになっている。その農地を何とか維持している人たちは、もう70歳代である。安価な輸入農作物に市場は、席巻され経済的にも体力的にも限界が近い。崩れる時は、突然にやってくるだろう。ただ、そこに、新しい農業が芽生えて来ると私は信じている。

日本の農業の行方67 01/03/30
輸入農産物の三品にセーフガードが発令されるようだ。国により金の価値は違う。生産コストも当然違ってくる。日本も豊かな国になったという事かもしれない。対米輸出のダンピングの問題が起こるたび、非があるのは、日本でなく、もっとアメリカ経済が努力し、低コストで生産すべきだと思っていたが、今は昔、立場が代わってしまったという事だろう。バイアメリカンではなく、バイジャパニーズと農家が怒って輸入農産物を踏み潰したりする訳でもなく、沈黙しているのは、諦めているか、まだまだ余裕があるのか、民族的DNAの為せる技のどれかだろう。

日本の農業の行方68 01/03/31
もう変えなくちゃと誰もが思い始めている。このままでは、立ち行かない、つまり、次の時代に引き渡すことさえできないと感じているのだろう。そのキーワードは、普遍の正義ではなく、普通の正義であり、結果ではなく、経過であり、密室でなく、公開である。単なる世代間ギャップではなく、価値観のギャップである。つまり、ストーリーの共有が可能か否かの選択であり、プロセスの透明性を優先するか否かで区別されるべきである。
農業界では、明らかに先が見えているので、いわゆる実力者でも、新しい発想で取り組む人たちを排除しようとはしない。むしろ、応援してくれているし、都市型JAも理解を示している。この事実は、農業再生の必然性を共有しているからと言えるだろう。

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