雑感のコーナー・時々コラム

日本の農業の行方C

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日本の農業の行方69 01/04/02
4月からのNHKテレビの新番組で、食と農についての話題に取り組むのが幾つかあるという。食と農という視点が最近の流れのようである。もっと、はっきり言ってしまえば、食料自給率の現状をはじめ、農を取り巻く環境をいくら訴えた所で、農を変えることができないので、食という身近な視点から問題を提起し、国内農業をどうするのかという問い掛けである。それに、私がすでに指摘しているような食糧バブル「泡食」の危険性を含めて、今後の農業をどうするのかをマスメディアも真剣に考え始めたと受け止めている。

日本の農業の行方70 01/04/03
農林水産省の掲げている将来像も、現実的で本気さが感じられるが、JA、都道府県、市町村の組織を構造改革しなければ実現に時間がかかりそうだ。現状では、輸入に押され、農業が弱体化する中で、消費者が国産農産物を選択するとしたら、特産品かブランド品、或いは、顔の見える農産物で、それ以外の選択は難しいだろう。
スーパーで並んでいる農産物は、結果であり、その結果の評価が価格になってきたが、これからは、結果だけを重視するのではなく、そこに到るまでの過程が、重要になってくるはずである。その過程と結果をつなぐのが信頼であり、それが価値観の新しい基準になるだろう。こうした手法は、実際のところ農業だけの問題ではないと考えている。

日本の農業の行方71 01/04/04
食糧自給率が20%台になれば、国産農産物が貴重な高級品になり、農家の経営状態も良くなるだろう。ここからが問題である。高い意識と志を持つ農家だけが、その先の展開ができ、結果的に食糧自給率を押し上げるだろう。もっとも、このデフレ経済下では、どれほどの農家が淘汰されるか分らない。私の予測以上の速さで、弱体化する可能性がある。政治と経済のゆくえ次第で、どうにでもなる状況である。
農業問題は、例えは悪いが、産業界の不良債権問題だと認識すべきである。国内消費という味方があり、消費地に隣接しているというメリットを生かし切っていないのは、農業サイドの努力不足であると言わざるを得ない。

日本の農業の行方72 01/04/06
これからは、農家にとって販売が大きな比重を占めてくる。どう売るかで収入が大きく変わる時代である。自分で販売することで、経営感覚が身に付いてくるものだ。直接消費者と取引しなくとも、契約栽培など農協などを通さず、農作物を商品として自らの手で販売する事が必要である。朝市や農業祭りなどで直売する時でも商いの難しさや面白さを経験する事があるだろう。景気の動向、株価、為替、流行など生産の現場では必要としない情報も、販売を前提にするとその重要さが分るものである。農業はただ生産だけを目指すのではなく、販売するために生産すると言うことを忘れないでいただきたい。良い物をたくさん生産するだけで利益を上げる時代は、過去になりつつあると肝に銘じなければならない。

日本の農業の行方73 01/04/08
自由主義経済において農業は、他産業と同様であり、その体質を変えなければならないと言うのが私の一貫した姿勢であり主張である。農業の特異性や機能性を充分に認識した上で、これからのあるべき姿を示唆して来たつもりである。土は、生命体が多様であるほど、天候不順に左右されず、病虫害に強く、低コストで高品質、高収量をもたらす事は、経験上感じているが、産業も社会もまた同じである。多様性、ダイナミズムがあるほど、力強く健全な構造になるだろう。農業は、この部分でひどく閉鎖的であったが今後は、新局面を迎え転換せざるを得ないし、そのベクトル上にいる限り、有利であることは間違いない。

日本の農業の行方74 01/04/11
農業白書によると、外食産業、加工食品などの影響で「食と農の結びつきが弱くなっている」という。食と農が容易に連想されない時代になったが、その事実を危惧している人たちも多い。一方で、セーフガード問題で話題の輸入野菜との価格差にしても、流通システムを変えるだけで、対抗できる価格になると考える人たちもいるが、生産コスト自体が高いのは、紛れもない事実である。流通改革も当然必要だが、価格差に見合う物を提供しなければならない。ただ、積極的に国産品を購買する層こそが、これからの日本の農業を支えてゆくだろう。まだ少数であっても、余裕があり知識も意識も高い人たちが確かにいることは、心強いばかりである。

日本の農業の行方75 01/04/12
セーフガード問題で輸入農産物に勝てない品目が、明らかになり、ある意味で注目されている。かつての養蚕を例に上げるまでもなく、競争力の弱い品目は、経済学的にみれば、生産しない方が良いと言われるが、それでいいのだろうか。国内産の絹も完全に姿を消した訳ではないが、ほぼ淘汰されている。食という観点からすると特定の品目が欠如することは、好ましい事ではない。しかし、自給率で見る限り、大豆、小麦、トウモロコシなどの穀類を中心に、輸入に依存していると言わざるを得ない。そう考えると、これ以上の欠品を避け、穀類ももう少し自給すべきである。カローリーベースの自給率でなく、多くの品目の平均を反映した自給率を考えるべきだろう。つまり、特定品目の欠如は、なるべく避け、食生活と結びつく農業を目指すべきだろう。

日本の農業の行方76 01/04/15
保護貿易と自由貿易の問題では、特に農業について、他産業と同様に論ずるべきでないし、他の国も農業だけは保護貿易的な措置を取っている。グローバル経済的な発想とリスク配分を考えると自由貿易を支持するが、食に関しては、一定の保護は必要であると考えている。農産物の品質と工業製品の品質が違うのと生産するために環境に与える影響が違うからである。農産物の品質と背景が、同一でないのに価格差で産地が潰れるとしたら、大多数の人の利益を損なう事になるだろう。選択する国民一人一人の責任は重い。

日本の農業の行方77 01/04/17
デフレ傾向の中、暫定セーフガードに対する批判、農業を取り巻く環境は予想通り厳しい。農産物の価格は、土地と同様に下がり続けている。日本人が日本の技術で海外で生産し、日本の市場を席巻する。単純な輸入攻勢とは確かに違う。価格が安ければいいという人たちもいる。食と農を真剣に考えてくれる人たちもいる。問題は、複雑である。ただ、暫定セーフガード問題が、その意図とは逆に、国内農業の衰退を加速させるような気がしてならない。

日本の農業の行方78 01/04/24
農業は、行政サイドの影響も受ける事も多い。行政全般に対しては、概ね評価しているが、いわゆる縦割り行政の弊害は、是正しなければならない。山梨県のように64市町村もあると、農地が複数の市町村に点在し、例えば、農業委員会、農政課などと接すると、お役人の品質を肌身を持って感じることがある。初めから、責任を取るつもりもなく、その役職にいる間は、無難に仕事をすればいい。保身に走るから、新しい事はしたくない。異動すればそれで終わり、気楽なもんだ。情熱を持って仕事している行政マンもいるのに、この差は一体なんだろう。

日本の農業の行方79 01/05/17
セーフガード問題から、農業を取り巻く環境について、改めて議論されるようになってきた。工業製品と農作物との違いについては、以前にも触れているが、ボーダーレスとなった今、日本の農家は、どういうベクトル上で生産すれば良いのだろうか。価格では、勝てないし、品質にしても圧倒的な差はないだろう。なにしろ、輸出国で生産される農作物は、ほとんど日本の技術で生産されているからである。顔の見える農業はどうだろう。山梨の池川さんのブドウでなくとも、韓国の鄭さんのブドウでもいいとすれば、どうなる?

日本の農業の行方80 01/05/18
少数で、消極的な良識ある都市生活者と農家が結びついたコミュニティー、NGO、市民団体など組織対組織から、個人対個人の繋がりが今後重要になるだろう。スペインの中條さんのお米、アメリカの田牧さんのお米、新潟の鈴木さんのお米の中から個人として選択し、消費できる時代も遠くないだろう。国内の農作物であれば、自由に手に入れることが、すでに可能な時代である。ただ、生産量に限りがあり、しっかりとした信頼関係がないと手にする事が出来ないという特徴もある。ここに今後の方向性が残されているのだ。

日本の農業の行方81 01/05/20
日本の農家が、反対運動などの行動を起こすのは、輸入解禁の問題が起きた時、つまり、外圧に対しての反対と行政や農政に対してがほとんどである。国内の消費者に対して強硬な態度を取ったことがないと記憶している。暴落した野菜を政府保証してもらい、トラクターなどで、廃棄する事は、ニュースになる。いつでも、「守って下さい。」というスタンスでは、ダメである。
農家、JAなどが一致団結し、供給を拒否し、農業問題を真剣に問い掛けるような強硬姿勢を示すべきである。ブランド化し、一部の裕福な人たちを満足させる農業だけで、生き残れるとは思えない。

日本の農業の行方82 01/05/21
ブランド化については、以前にも述べているように生き残りの一つの形として、予測している。私が指摘しているのは、一つの形の農業ではなく、多様性ある農業が主力になるという事である。結果として護送船団方式になるような農業に、何ら未来は無いだろう。土を通して生きる証しとしての農業も、存在し得る社会になりつつある。流通や経済や行政が変わって行く中、農業も変わって行くだろう。だが、植物が育つ仕組みに何ら変わりはない。

日本の農業の行方83 01/05/23
将来、生産性の劣る農作物が淘汰され、この国に農業がなくなるという事も起こり得る。一部の産業界や経済界の人はそれを容認している。
かつて、社会主義が失敗した要因の一つに、「一つのリンゴは、一つのリンゴでしかない。」という発想で計画経済を推し進めたという事実を忘れないで欲しい。たった一つのリンゴに、品質、安全性、持続性、安定供給、国土保全、景観など多くの背景があり、そこからその価値が決まってくるのである。安ければいいと言う発想は、その背景を無視し、選択肢を狭め、結果的にダイナニズムさえ奪ってしまう。

日本の農業の行方84 01/05/28
農業は、経済効率の悪い産業である。しかし、生きて行くため、食べて行くためには、何処かで、誰かが生産しなくてはならない。この豊かさの本質と農業の本質を冷静に見つめ直すとその異常さに改めて驚かされる。交通手段や通信の発達で、確かに世界は狭くなった。グローバルな発想も容易に出来るし、自由貿易や経済効果だけを考えれば、日本で農業をする事にどれだけの意味があるのか疑問であると言う声に、自信を失う農業関係者も多いだろう。平和で、異常気象もなく、工業国として外貨を稼いでいられるうちは、それで良いのかもしれないが。

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